芝遺跡
所在地:桜井市芝                      
桜井市草川・太田・東田・箸中ほか
 芝遺跡は三輪山東麓の扇状地上に立地する遺跡で、弥生時代を通じて営まれた拠点集落です。
 これまで、二十数次の調査が行われ、遺跡の南限は初瀬川の氾濫源におよび、北は現在の巻向川を超えて広がっています。集落内部の構造や環濠の有無はまだよく分かっていませんが、竪穴住居跡や掘立柱建物、土坑、ピットなどが多数、検出されています。弥生時代末、北隣に成立する纒向遺跡との関係で特に注意を要する遺跡です。

   纒向遺跡

 遺跡は三輪山の北西麓に拡がり、纒向川の扇状地上に立地しています。昭和46年の県営住宅団地建設に伴う調査と、纒向小学校移転に伴う調査の結果、大規模な遺跡であることが分かり、それまでの「太田遺跡」から「纒向遺跡」と改称されました。以来、これまでの調査次数は120次を数え、現在は桜井市教委が主に調査を行っています。
 遺跡は弥生時代末から古墳時代前期を中心とした集落遺跡で、特殊な遺構と見られる導水施設や祭祀土坑、方形周溝墓、住居跡などや弧文円板などが検出されています。また、最も古い時期の前方後円墳群の存在や他地域土器の多量出土などから、大和政權との関係で研究されている遺跡です。 

 

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